カウンターデビュー

1998年4月。私は18歳だった。

某有名私立大学付属女子高卒業式。‥‥‥何故かタイシルクの民族衣裳で卒業式に望む。もちろん他の卒業生達は黒か紺のスーツ姿。こんな素っ頓狂な格好をしているのは私だけかと思いきや、クラスメイトで変人仲間だったタカエが自作のチャイナ服姿で登場。 ‥‥‥‥こいつだけは一生友達だと思った。

しかしそこは進学校、多くの者が付属大学、短大への進学を決め、その他のラインナップも華々しかった。卒業生の進学予定校には東大を始め慶応、早稲田、上智大学などがひしめき合っている。先述のタカエですら(失礼だ)6大学の一貫である法政大学への進学を決めていた。

私は無職だった。

クラスで医大志望以外に浪人したのは多分私一人。 教師陣はともかく遅刻欠席の新記録を塗り替え続けた私の卒業を非常に祝ってくれ、浪人については励ましてもくれたがごめんなさい、私の胸中は「やっと解放された!!!!」この一言に尽きました。

勉強に追われ、なんもかも禁止されていた女子高生活の反動が一気に。

今でもはっきり思い出せる卒業式当日と翌日の私の行動。 謝恩会後、まっすぐに渋谷へ出向き両耳あわせてピアスを5つあけ、髪を茶色に染めた(後に金髪となる。両方とも校則で厳しく禁じられていた。) そして翌日。受験のために通っていた美大予備校の奨学金申請に行き、バイト情報誌を購入、その足で国分寺のカウンターパブに面接に行き、即採用。翌週が、地味ながらも呆気無い私の水商売デビューとなる。

10席くらいのカウンターとBOX席が2つの小さい店だった。

初の源氏名は「藍子(あいこ)」ちゃん。「愛子」でないあたりにちょっとしたこだわりがあった。 採用後、マスターにまず言われたこと。 「それじゃ、出勤の時には必ず化粧してきてね。」 ‥‥‥‥あたりまえだ。 今考えると借りにもホステスの面接にすっぴんで行った私はすごい。なんも考えてなかったものと思われる。

私はとにかくアルバイトをしたかった。稼げれば何でもよかった。現役で、受けたすべての大学を失敗している以上予備校の奨学金は出ても半額かそれ以下に違いなかったし、何よりも遊ぶ金が欲しかった。劇団に入ってたので時間も多少制限されるし、時給800円では間に合わない。 そもそも順当に付属大学へ進学してくれるだろうとの期待を込めて小学校からわざわざ学費のかかる私立へ今で言う「お受験」させてなんとか入れた親の期待を見事に裏切り勝手に美大を受験、そして見事に失敗。‥‥私は昔から小心者だった。この期に及んで更に「金くれ」とは、口が裂けても言えないと思った。

そしてより親の面目を潰す方向へ走った、‥‥‥‥と。

‥‥‥‥‥。

 

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指名制ではないカウンターパブなので時給はキャバクラよりは大分安く1600円から。女の子の総数も10人くらい(出勤数は5、6人)と少なかった。‥‥さすがにお嬢さん学校で12年間過ごした私。いきなり時給4000円とか勤務地渋谷とかにはびびって近付けなかったのだ。 辛うじて彼氏はいたものの共学出身者に比べれば男というものに対しての免疫はほぼ皆無。特にサラリーマンなんてのは未知の領域である。まあなんとかなるだろうとタカを括っていたものの、さすがに始めて客についた時の緊張は今でも忘れられん。客の名前もはっきり覚えている。

「N」さん、自衛隊員だった。彼は非常に優しく落ち着いた雰囲気の青年で、「水商売=スケベおやじに甘えて金をせびる」という私の偏見を一瞬にして覆してくれた。 彼は、来週から別の土地へ赴任するのでこの店に来るのは今日でおわりなんだ、最後にアイコちゃんにあえてよかったよ、と言った。 嬉しかった。

この店で出会ったお客さんのことは実は一番記憶に残っているかもしれない。常連さんが多かったし、お客さん同士も仲が良かったりして(本命以外の)女の子とは友達のように接する人が多かった。(もちろんややこしい人もいましたが。) マスターは元は板前さんで、何故か寿司屋をカウンターパブに改装してマスターにおさまった変な人だった。さすがに料理は上手くて食事のメニューも豊富。私をすごく可愛がってくれたし、スターティングメンバーの女の子も親切でいい人ばかりで、なんだー、楽勝じゃーん、と思ったのも束の間。 翌月あたりからはやっぱりお約束の「指名制度」「電話営業」が私を襲うのでありました。

まず初日から、「彼氏いるの?」と聞かれ「あ、ハイ。」と答えてしまった私に早速ヘッドの彩さんから控え室(と言ってもキッチン。狭い店だった。)にてチェックが入る。

「藍子ちゃーん、そういうのはね、一応いないって言っとくか秘密にしといた方がいいのよ〜。」 あ‥‥‥‥。やっぱりこういう店でも多少は恋愛を売り物にするのかー。と思った私は甘かった。いやはや。多少どころの騒ぎではありませんでしたわ。キャバクラではないだけに却って女の子の占有観が強いのか、かなりのめり込んでる人も多かったと見る。それに確かに、フリーだと公言している女の子に対してはお客さんのリピート率が明らかに違った。

とにかくね、一貫して悩まされたのは特定のお客さんとの関係がどんどん親密になっていくこと。常連さん同士妙に監視しあってる感じや逆に協力しあってる感じもなんとも言えず。 大人の男って結構子供なんだな、ということもその時知った。 幼心にもなんて狭い世界で恋愛しようとしてるんだこいつら、あほじゃねーか?と思っていたりしていた。まだ私も子供で、お客さん達の「昼の顔」がリアルに想像できていなかったしね。

 

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春海さん、という女の子がいた。店での売り上げは3位くらいの。おとなしめのルックスで古風な色気のあるお姉さん。それを利用してか、彼女は本当は彼氏がいたんだけど店ではバージンで通していた。(26の女がですぜ。)そこまで言い切る彼女も彼女だが信じる客も客だわ。

しかし。野沢さん(仮名。推定32歳、会社員)は本気だった。そりゃーもう彼女の出勤日には必ず通ってくる。週1日は必ず同伴。会話は横で聞いてる限り「接客」の範囲をでなかったが(2人の時はわからんよ)、それでも彼の目にははあとまーくが散っていた。(指名制ではないが一応誰のお客さんか、みたいな区分は出来てて、それ以外の女の子は一緒についてもヘルプ的な扱いになる。)

彼女の誕生日。野沢さんはでっかい花束とでっかい熊のぬいぐるみを抱えてやってきた。なんてお約束な男だろうか、32(推定)にもなって。もちろん彼女のお客は彼一人ではないので誕生日ともなればバッティングしないわけがなく、他のお客さんも花背負ってやってきて、その間ヘルプでついた私に対してはほぼ上の空。ずっと彼女のいるBOX席をちらちら見ていて落ち着かない。なんて分かりやすい、そしてなんて陳腐で滑稽な大人。童貞か?こいつは。とか考えながらも顔にはスマイル。私も大分慣れてきていた。そして、考えてることが手に取るようにわかる彼を子供に思うように可愛い、とも思った。

春海さんが店をやめた。先の彼氏と結婚するため。そもそも店で働いていたのもその年下の彼氏との結婚資金を稼ぐためだったのだ。 マスターに本当のことを聞かされた時、彼は無言だった。‥‥‥‥なんとも言えない厭ーなムードが半径1m位の空間にじわあっと広がった。 本当は客に対しては一応挨拶して筋を通してから辞めるのが基本なのだが、春海さんも彼に関してだけは手にあまったと見える。その夜彼はずっとカウンターの隅っこで機嫌悪そうに飲んでいた。 もうこれで二度とこないのかなー、と思いきや。相変わらず彼は週1、2回はやってきた。今度は沙織さんという女の子が着いている。どうやら彼女相手にずっと愚痴を言っている様だった。彼の目には同情を求めているような雰囲気がありありと見て取れた。‥‥あわよくば次のターゲットに、と言うところだろうか? ‥‥‥この人には他の世界がなかったのだろうか‥‥‥‥。

たかだか18の子娘にすらはっきりと見えるフィクションの世界を、大人の男が結構本気で遊んでいる。 面白かった。

 

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この最初の店には約半年お世話になり、9月以降は予備校に専念、そして無事合格した後はいよいよキャバクラデビューである(学業はどこ行った?)。

ええと、なんか説明っぽいのはこの辺で終わります。

 

2003.6.1

注*上記に出てくる店の女の子とお客さんは、私以外は全て仮名です。

 

 

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