Sという友人がいた。出会った当時私は17歳で、彼は9歳年上なので26歳だったか。 そこは東大受験塾で、親の知り合いでなければ美大志望の一般教養的には落ちこぼれレベルであった私のような高校生が行くような塾ではなかったのだが、そこでたまたま私を担当した彼はまた、全員東大OBというそんな塾の講師としてはちょっと変わった破天荒な人間だった。 東大卒、IQ175という絶対的な頭の良さ。そのくせ社会的な仕事に従属する事には興味がなくてフリーのライターやCGデザイナーをやっていたり、風呂もない築100年の長屋に住んでいたり、風俗嬢のマンションに転がりこんで食わせてもらっていたり、クラブDJをやっていたりする。9歳年の違う私にもそれなりの態度で接し、いろんな事を冷めた口調で熱っぽく語る。面白い男だった。 私は私で当時、進学校にいながら前衛美術や演劇にかぶれていたり、同人誌で小説を書いていたり、16歳も年の離れた(自称?)芸術家と恋愛していたり、ゆるやかに道を踏み外した者同士彼とはものすごく気が合って、受験が終わってからも何かと言っては長電話したり、クラブイベントに呼ばれていったりこちらの演劇公演を見に来たり、という関係は大分長い間続いた。 彼はほとんど、完璧な頭脳を持った人間だった。 彼の小説は私に「面白い」と言える類いのものではなかった。但し純文学というジャンルは難解で、一度評価されたものでないものは優れているのかどうか、私にはわからない。私にはわからない事がたくさんある。 彼は、人に影響を受けるという事が一切ないと言う。哀しいほどに全てを把握しきっていて、他人の意見の入り込む余地など無いのだと。そのことに関しての一番の問題は女と長続きしないことだと彼は言った。 そこまで知能指数の高い人間の世界とはどういう物か、と私が訊く。 しかし、ともかく何かを超越した人間であったのは確かだ。 私はいつのころからか、自分のことで何かわからない事があったり困ったときにはすぐに彼にアドバイスをあおぐようになっていた。それはもう、恋愛沙汰から食品添加物のことまで、わからなくなるとすぐに電話して訊く。彼はいつも即座に、的確にそれに答えた。 私は客観的視点、という物を結構信頼しているので、普段から何かに迷ったときには何人かの信頼できる友人に相談したり疑問を投げかける。そして最終的には私の判断に委ねられる彼らの意見を聞いて、再び自分の思考に舞い戻る。 しかしその中で、彼の答えだけはいつも明確でしかも断定的なのだった。 そういえば大学時代、3年間つきあったR君と初めて出会ったのも彼がDJをやっていたイベントである。Sの友人のDJが音響で関わっている劇団の主宰という事で紹介されて、その縁で彼の劇団の公演に出る事になったのがきっかけだ。 R君との関係においても最初から最後まで、「あいつは間違いなくお前に気がある。誘え」だの、「ただしお前が本気になった時点で弱腰になって逃げる」だの「今関係が戻っても結局すれちがう上に1年後には終わる」だの、後々彼の予言はいちいち的中した。Sは、R君とは直接の友達ではなかったにも関わらず、一回会っただけの印象と私の語る言動のみで、彼の性質を細かく掴んでしまっていた。 勿論、全てを鵜呑みにしていたわけではない。自己評価の高すぎる人間というのは、どんなに信頼していてもやはり少しだけ胡散臭い。 ________ 一時期、私にとって本当にかけがえのない友人だった。毎晩のように徹夜で議論したこともある。 そのことで多少口論になった時。彼が、こともなげに言い切った一言。 「お前が俺に言おうが言うまいが、大抵のことはわかってんだよ。たださ、たとえば、お前本当は俺に抱かれたいんだろ? 不意をつかれた。 確かに、私は彼に欲情していた。機械みたいな彼の生身の部分をむき出しにしてみたいと渇望していた。勿論そんな態度は彼の前でおくびにも出した事はない。絶対にバレていないと思っていたのに。 その後も何度か電話で話す機会はあったものの、前より少し疎遠になった。多分意識的にそうした。これ以上彼に見透かされるのを本能的に恐いと思った。そのことも、彼にはわかっていたのだろうか。途中で電話の番号が変わって、 確か1度くらいは伝言しただろうか、その後久しぶりに電話をしたときには今度は、彼の電話番号が使われていなかった。唯一の共通の友人である先の音響DJ氏に聞いてみても、突然消息を絶って彼もまた連絡不可能だという。 ショックだった。何かあったのだろうかと何度か口端に上るも、まあSのことだからな、という事で落ち着いてしまう。と同時に、私は足下をすくわれたようにこれからの人生を妙に心もとなく感じて、そのことにまたショックを受ける。こんなにも私は、所詮は他人である彼に依存していたのか。 私は彼を第二の頭脳とでも見なして都合良く使っていただけなのだろうか? と自問自答する。 「親友、っていうんじゃないな。お前の事は人生において俺の弟子だと思ってるから」 ________ Sとの友人関係が断たれてから早4年が過ぎようとしている。 先日、そんな事を思いながらふと、彼のライターをやっていた当時のペンネームでWeb検索してみた所、仕事関連の記事は山のように出て来た。写真付きのプロフィールもあった。まず間違いなく本人であろう。そうか、最近はネットライターもやってるのか。小説家になるのはもうやめたのか、他の名前を使っているのか。懐かしさに、不覚にも涙ぐみそうになる。 本当に連絡を取りたければ(多少非常識であろうとは思うが)彼が執筆しているポータルサイトの編集部にでも問い合わせればメールの転送くらいはしてもらえるだろうと思う。そして彼は昔と同じように、迷いのない言葉で私に答えをくれるかもしれない。 しかし思いとどまる。 ただそういうことを全部抜きにして。
会いてえよ。桐生さん。
2004.10.29 |