ノー・フューチャー

 

 

救い様も無い程下らなく、金にもならない舞台公演をやったり自主映画を撮ったり、何かと言っては飲み会に明け暮れるいい年した大人たちの集団。愚にも付かない議論を戦わせながら終電を逃す、新橋の稽古場。そこが今から8年程前、成績も良くなく鬱気味で学校に居場所の無かった私の避難所であり、唯一居心地の良い場所でもあった。

参加者の年齢層は20代前半から40代後半と幅広く、芸能界で名を上げ損ねたタレントや「万年若手」芸人、フリーター、会社員、など立場もいろいろ。当時高校生で一番年若く、無知故に生意気だった私とも対当につきあってくれ、「こんな大人になるなよー」といいながらかわいがってくれていた。

劇団、と言う程には適当でまとまりのない不特定多数の集団だった。企画毎に団体名も適当に変わったりする。

たいていの企画の中心となっていたのは当時ギリギリで30代一歩手前だったT。4歳年上の彼女に食わせてもらっていて、まだ16、7の純情乙女だった私にいきなり「フェラチオした事ってありますか」等と至極真面目な顔で話を振ってくるとんでもねえ男だった。

高校を卒業して1年浪人、その後の大学生活の間にもライブや飲み会の度に声をかけてもらったり、よく分からない映画によく分からない看護婦のコスチュームを着て出演したりアフレコしたり結局編集段階で監督が飽きて結局日の目を見ていなかったり、なんだかんだで途切れがちながらも未だに交流が続いている。

彼等は、目的に向かって集中を高めていく若手の劇団や自主映画集団とは「熱さ」のベクトルが微妙に違っている人間の集まりだ。「表現」の完成を目指さない。よくも悪くも適当である。

誰かが「こういう企画が面白い」と言う。飲み会を重ねるうちになんとなく実現まで話が進む。その段階で冗談混じりながらもアイディアを出し合っている雰囲気が一番熱くて、楽しい。そのうちに一応笑いや構成の才能もある人も居たりして結構面白い脚本ができる。しかし撮影技術が伴わなかったり金がなくて、アイディアを十分生かせないうちに何となく完成を見てしまったり、それで結局映画祭に出しても橋にも棒にもかからなかったりする。尻窄みなのだ。

 

「楽しければそれでいいから」‥‥本当はどうだったのか。皆、照れ隠しをしてるんじゃないか、と私は感じていた。成功したいけど出来ない。余りにも遠い。だからあきらめる。でも自己顕示欲から逃れられない。だからなんだかんだ言っては中途半端な形であっても表現欲求を満たそうとする。大人になっても不器用な人が多いんだなあと思ったりした。私は「あきらめる」以前に、まだ何にも挑戦した経験のない子供であった。

懐かしく思い出すあの頃の情景の一コマ。
遊びの延長のような稽古や打ち合わせの後繰り返す飲み会で。「それでは僭越ながら、」と、Tの乾杯の音頭。

T「ノー フューチャー!」
全員「No future!!!!」

グラスが重なる。
ああ、ダメな大人の集団だなあとつくづく実感する。そしてその中にいる自分自身。とてつも無く心地良い瞬間。

 

私が大学をなんとか4年で卒業してイギリス留学を決めた時。
そうか、あんたもとうとうあっちの世界に行っちゃうんだねえ、と役者のタニ君が言った。

あっちの世界ってどこだ。
ああ、そうか。昼と夜がひっくり返ってなくて、借金したり誰かのヒモにならなくてもくても生活出来て、演劇とか金にならない事言ってないで、学歴つけて、資本主義のシステムにちゃんとのっかって働いて、一般的に社会的とされてる生活をしてる人間が住む社会の事か?‥‥微妙に違う気がする。

何にしても。違うんだよタニ君、私はもともとそっちの世界なんかにいなかった。「あっち側」にもまだ遠い。留学なんかして、ますます自分を後に引けなくしているだけだ。どっちでもない。宙ぶらりんなままだだ。

彼等の企画に参加する時の私は、いつも心のどこかで皆とは一線を引いてたような気がする。心の底では少しだけ軽蔑していたのかもしれない。嫌なコドモだった。自分には未来があると思っていた。30過ぎてフリーターって。28歳素人童貞って。役名のついた事も無いような「役者」って。過去の栄光ばっか語るタレントやアーティストって。どうせ、モノにならない人間ばっかりだと思ってのかもしれない。
しかし、そういう私をも許容してくれる優しい人達の集まりだったことに感謝もしている。皆大好きだ。これだけは今でも変わらない。

それにしても一体「モノになる」って何だ。

例えば36歳のカワノさんなんかは歯科医で、既婚者で、自分の医院まで持っていて、十分「モノになった」と言って良い立場の人であるように思う。しかしカワノさんも仲間うちでは立派に「NO future」の一員として認められている。底辺のお笑い好き、照れながら発する寒いギャグ、クラシックとワインの蘊蓄、酒を飲むとすぐ鼻が赤くなる。女の子の扱いが下手、玄人以外の女性経験は奥さん一人。何ていうか、他の皆と一緒、愛すべき「どうしようもない雰囲気」を醸し出していた。

タニ君の言う「こっち側」の人間は多分みんなバラバラなのだ。実現したい自我と現実の自分とが社会生活上で結びつかない。やりたい事がある、でも才能がない。才能なんて努力で何とかなる。しかしチャンスがない。頑張っても報われない。根性が続かない。それに賭ける度胸もない。副業を持たないと生活出来ない、副業が忙しくて表現にかける余裕がない。「頑張りどころ」を運悪く、または本人の責任で逃したりはき違えたりしながら年齢を重ねてしまった不器用な表現者たち。みんなそんな事を繰り返しながら、いつのまにか「あっち側」との隔たりが大きくなっている。その間を流れているのは、「あきらめた振り」という往生際の悪い余裕だ。

‥‥例えば深夜番組で熱湯をかぶったり毎日違うドラマで通行人をやらなくてもTVの仕事が貰える芸能人は「あっち側」にいるんだろう。ミュージシャンも、デザイナーも、アーチストも、モデルも、映画監督も、DJも、作家も、コピーライターも、それで食っていればみんなあっち側の人だ。それなりに時流に乗って大衆に認められなければなれない職業で金を稼いで、それに見合った才能と運があって、いろんな事が「一致」している人たちの事だ。

そうだな。私はあっち側の人間になりたい。
これからの人生、私にはいろいろとやりたい事があって、今現在はロンドンで一人ふつふつと計画を温めているわけだけれども。

才能なんて、本当にあるのかよ。

今、親の臑をかじったまま24歳になってしまった私は時々、ちょっとした現実味の伴わない恐怖感混じりにそんなことを思う。
そういう時、なんの脈絡もないけどあの頃の楽しかった飲み会を思い出す。そして何故か、すごく救われる気持ちになるのだ。

「僕ら、大人として最低ですから」「っていうか人間としてもうダメっすから」自虐的に言いながら、彼等は結構人生を楽しんでいる。いつも「意味」や「結果」にとらわれてしまう私は今、少しだけ、その感性を尊敬する事ができるようになった。

 

「NO future!」

本当にダメだった時。努力してもダメで運も何にも無くて、「モノになる」ことが本当にできなかったら。
私はダメな大人に成ろう。最初から無謀な夢なんて見なかった正しい大人じゃなくて、何かをあきらめた、それでも往生際悪く表現にしがみつくダメな大人として一生生きて行こう。好きな事をやって、好きな服を作って、演劇を見たり衣装を作ったり、副業で稼いだり、 無知で生意気な未来ある人間と本気で議論したり、「あっち側」に行こうとしている若い人間たちを余裕の笑みで「まあがんばれよ」と許容できるおっさんやおばさんたちの仲間になろう。

未来なんて無くてもそこそこ楽しんで生きて行く事は技術だ。それを身に付けた時に開ける世界をまだ私は知らない。

その時初めて、私は本当の意味であの頃の彼等の仲間になれる。
どんな事になっても、多分そう捨てたもんじゃない。

 

どこか納得のいかないデザインスケッチを血走った目で描いては消し、もどかしい思いで見直しながらふとそんな事を考えて少しだけ、肩の力が抜ける。

 

2003.12.13

 

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