LOOP

「近頃、砂嵐が弱くなってきたようですね」
 私が言うと、博士はにっこりほほ笑みました。
「そうだね。もうすぐ、収まるのかも知れないよ。そうしたらいつか、また太陽が顔を出す日も来るのかも知れない」
 博士は本当に嬉しそうにおっしゃいました。私は彼の前に、カップに入れた栄養ドリンクを置きました。これが朝食なのです。
「そうしたら、また生命が誕生するのですか」
「そうだよ」
 博士は目を細めて頷きました。そのような表情を見ていると、なんだか私まで嬉しくなります。
 博士の向かいに座り、同じ栄養ドリンクに口をつけました。それからいつものよう
に他愛もない雑談に入ったのです。
 私はこの時間が一番好きでした。

 私たちは、世界の果てに住んでいました。果てと言ってよいのかどうかもわかりません、私はこの屋敷から出たこともないのです。ただ博士がそうおっしゃっているので、私もそう思っているだけなのです。
 屋敷の外に出なくても、困る事はありません。生活に必要な栄養ドリンクは屋敷内で合成出来ますし、研究室も食堂も娯楽室もあります。それに屋敷の外は砂嵐の止まない死の世界なのです。
 私達はずっと屋敷の中にいました。世界には私達二人だけでしたが、二人だったので、寂しくはありませんでした。

 博士は毎日研究をし、私は食事の準備や、コンピューターの調整など、博士のサポートをしていました。
 朝食の終わり頃に、私は気になっていたことを博士にお話しました。
「最近右腕の調子が悪いのですが」
 時々、指先が動かないのです。私の言葉を聞くと、博士は優しくおっしゃいました。
「じゃあ後で部品を取り替えてあげようね」
 私は頷き、急に羨ましくなって言いました。
「博士は自然治癒能力があっていいですね」
 ちょっと配線の一部がショートしただけで、私は部品を取り替える手間がいるのです。
 すると博士は私をたしなめるようにおっしゃいました。
「その分、体の代えがきかないというデメリットはあるさ。それだけ君らよりずっと死にやすいんだよ。知っているだろう?」
 自分が博士を妬むような言い方をしたことが少し恥ずかしくなりました。慌てて頷くと、博士はほほ笑みました。それから立ち上がりました。
「じゃあ、私は研究室にいるからね。あとで、お茶の時間にまた会おう」

 私は人間ではなく、博士に作られたロボットなのです。

 私は博士に作っていただいた日のことをよく覚えています。首に通されたパイプが抜かれる気配がして、私は目を開けました。すると、彼が目の前にいたのです。私は一目で、この人が私を創造者であり、主人なのだとわかりました。

 彼は優しくほほ笑んで言いました。
「孤独の世界へ、ようこそ」

 その言葉の意味は、彼の生活をサポートするようになってわかりました。私が生まれる前、この世界には彼以外の人間は一人もいなかったのです。
 戦争があったのだ、と彼は悲しそうに言いました。そしてここにいた科学者を残して(それが彼なのでしょう)、皆死んでしまったのだ、と。

 私にはそれがどういうことなのか、よくわかりませんでした。けれども、彼に見せていただいたビデオでやっとわかったのです。ビデオには緑に満ちた美しい世界が映し出されていました。その中では沢山の人々が楽しそうに暮らしていました。とても幸福な光景です。私は博士に尋ねずにはいられませんでした。
「これほど美しい世界を、どうして人々は壊してしまったのですか」
 屋敷の外は岩と石ばかりでした。毎日薄暗く砂塵が舞って、日がさすということもありません。私は太陽の存在も、ビデオで初めて知った位なのです。
 すると博士は少し考えてから言いました。
「あんまりきれいだったからじゃないかな、だからみんな、全部自分のものにしたかったんだよ」
 私にはやはりよくわかりませんでした。
 そう言うと、博士は頷きました。
「いいんだよ、わからなくて」
 優しくて、悲しい笑顔でした。

 昼が過ぎて、私はいつものように、お茶の準備をして研究室に行きました。
「博士、お茶をお入れいたしました」
 すると博士はまた研究をなさっていました。
「いつも何を研究なさっているのですか」
 私は毎日のようにそう尋ねましたが、彼はいつも笑ってはぐらかすだけで、決して答えては下さいません。いつしか私が尋ね、彼がはぐらかすのは、決まりごとのようになっていました。

 けれどもその日は違ったのです。

「もうすぐ君はこの研究を知ることになるよ」
 私は驚いて、博士の顔を見ました。
 彼は静かな表情でした。無表情にも近いほどのその様子に、私は怖くなりました。なぜ今日に限って、博士はそんなことをおっしゃるのか。
 私のおびえが伝わったように彼は言いました。きっぱりとした、落ち着いた口ぶりで。
「僕はもうすぐいなくなるんだ」
 私は愕然としました。
「まさか..」
 彼の外見はまだ二十代後半でした。死ぬような年令ではありません。

 けれど本当だったらどうでしょう。私は取り替えがきかない脳の部品が壊れるまで生き続けるのです。栄養ドリンクを飲まなければ少しは早めに死ねるでしょうが、それでも多分、あと四十年はあるでしょう。自殺は決して出来ないように作られている私は、その間たった一人で取り残されてしまいます。
 今まで考えたこともなかった恐怖を、初めて身近に感じました。
 朝も昼も夜も……自分の寿命が切れるまで、この屋敷に取り残されるのです。一人きりの生活は、どんなに暗く、寂しく、恐ろしいものでしょうか。
「博士、本当にその時が来たら、私を壊してください」
 私はそう言いました。懇願にも近かったかもしれません。けれど博士は黙ったままでした。
 それ以来しばらくは、博士は死については何もおっしゃいませんでした。私も怖かったので何も聞けず、もしかしたらそれはまだ先のことなのではないかと希望を抱くようになっていました。
 けれども予想より早く、突然にその日はやって来ました。ある朝、彼が起きてこないことに不安を覚えた私が寝室に行くと、もう彼は動きませんでした。涙を出す機能がついていたら、私は大泣きしたに違いありません。

 私は博士の死体を、じっと見つめました。博士と私はどことなく似ていました。博士が私をお作りになった時、ご自分をモデルになさったのかも知れません。
 私は悲しい気持ちで彼を抱き起こそうとしました。埋葬しなければと思ったのです。
 その時です、首の所の金具に気が付きました。驚いて手をかけると、それはぱっかりと開きました。
「……ロボット?」
 目を疑いましたが、その通りでした。博士はロボットだったのです。博士の中には、私と同じように、たくさんの金属が埋め込まれていたのです。
 
 博士も機械だった、では彼はなぜそのことを秘密にしていらしたのか。私は考え続けました。答えが出ない問いに、頭がショートしてしまいそうでした。
 私は本当はもう死んでしまいたかったのです。誰もいない世界は寂しすぎました。私一人をおいて行った博士を恨みさえしたのです。彼のことばかり考えました。
 けれども私はある日、やっと博士の言葉を思い出したのです。
「もうすぐ知ることになる」、そうおっしゃっていた、あれほど彼が熱心だった研究は一体何だったのか。
 私は研究を見せていただいたことはありませんが 、博士のサポートをしていたために、コンピューター位はわけなく使えます。キーボードを叩くと、すぐに研究レポートが見つかりました。まるでわざとそうしたようにあっけなく見つかったのです。

 私はそれを見た途端、泣きたくなりました。
 それはこの不毛の大地に緑を植える研究だったのです。しかも膨大な量、とても一人で出来る量ではありません。博士の前の博士、その前の博士……一体何人の博士がこの研究を続けてきたのか。初めの博士だけが人間で、彼は寂しさからロボットを作ったのでしょう。そのロボットは主人の亡き後、またロボットを作り、私の博士も……。

 この世界がいつかまた、美しいものになるように。

 それを見た途端、私の心は決まったのです。
 一年後、私は一体の後継者を作り出しました。どことなく博士に似ていました。ということは、私に似ているということでもあるのかも知れません。
 最後のパイプを抜くと、彼はまっすぐな瞳で私を見ました。
 この一年、私はたった一人で研究について学びました。大変でしたが、出来ないことではありませんでした。博士が私のために、わかりやすく説明したレポートを残しておいて下さったのです。
 孤独な生活の中で、私を作る前の博士のお気持ちがわかるような気がしました。どうして彼があれ程私に優しかったのかも。
 でも今日からしばらくは、この一年とは違うのです。私は一人ではないのです。

 私の死後、このロボットはまた取り残されてしまうに違いありません。その時、彼は私を恨むでしょう。それでも作らずにはいられなかったのです。跡継ぎのため、それから自分の孤独を癒すために。
 そして私は自分がロボットであることは秘密にすると決めました。今やっと私には博士のお考えが理解出来るのです。このいつまで続くかわからない研究を、引き継ぐかやめるかは、せめてこの跡継ぎ自身にまかせたい。だから最後まで,自分の研究と正体は教えたくないのです。
 そして私は心のどこかで、あの優しかった博士と同じ役割を演じたいと思っているのでしょう。
 そう、今日から私は博士なのです。
 私はほほ笑んで言いました。

「孤独の世界に、ようこそ」
                                      

END

 

「詩とメルヘン」(サンリオ出版)1999年10月号掲載
その後、視聴覚障害ボランティア団体「木漏れ日センター」の冊子、「ぶな」に転載。

 

 

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